ダナンについて
19世紀の前半より、阮朝の勅令のもと、全ての欧州船が出入りする最も大き な港町として発展した。フランス植民地支配後は、インドシナ総督府がこの街に 置かれ、食品加工や造船などの産業も栄えた。
第二次大戦末期には、日本軍によりフランス植民地政府が打倒され、いった んはベトナム帝国が樹立されるが、日本の降伏後、ホーチミン率いる共産勢力の 革命により、北部のハノイを拠点としてベトナム民主共和国が樹立される。だが、 ベトナムへの再支配を目論むフランスにより、国が南北に分断されることになる。ま た、社会主義の拡大を防ぎたいアメリカは南部の、社会主義化を進めたいソビエ 卜は北部の後ろ盾となり、東西冷戦の構造がここにも持ち込まれた。米国駆逐 艦が攻撃された1964年のトンキン湾事件をきっかけに、ベトナム全土が戦争に突 入して行った。
南部の、ベトナム共和国政府の腐敗や弾圧に不満を持った人々により組織さ れた、南部ベトナム解放民族戦線(ベトコン)は、南部各地でゲリラ戦を展開し た。
米海兵隊がダナンに大規模な基地を展開していたため、ベトコンによる激しい 攻撃を受け、この美しい街も、戦闘の舞台として戦争に巻き込まれていった。
戦後、経済改革政策であるドイモイの推進により、外国企業の進出も盛んに なり、徐々に発展をとげている。最近では、リゾートとしての魅力が注目され、高 級ホテルやリゾート開発がすすめられているが、まだまだのんびりとした田舎の雰囲 気は変わっていない。
現在は人口100万人の中規模の街ながら、友好都市の数は現在20都市 で、首都ハノイの4都市を遥かに凌ぐ。街の人々が、よそ者に対して寛容で有るこ とは既に述べたが、この数字からも、高い開放度と外国への関心が伺える。
ダナンビーチ
世界でも有数のビーチとして数えられるだけあって、空、雲、海、砂浜それぞれ の美しさが調和して、力強い臨場感のある景観だ。
早朝や夕方には多くの人がビーチに出ているが、昼間は陽射しが強すぎるせい か、ほとんどビーチに人影はない。
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ビーチ沿いには、小洒落たバーやシーフードレストランの建ち並ぶエリアがある。 夕暮れ時に、オープンエアーのテラスに陣取り、美味しい料理をたべながら、ゆっく りと暗くなってゆく海辺の雰囲気を楽しむことが出来る。やがて暗闇の中に月のあ かりが波間に映り、繰り返される波の音と共に幻想的な世界に包まれる。適度に まわったアルコールも手伝い、なんとも穏やかで静かな気持ちになる。
シーフードレストラン
食事のあと、腹ごなしに波打ち際をのんびり歩くのも良いだろう。はだしになっ て、濡れた砂浜を踏みしめながらゆっくり歩いていると、日々の生活で溜まった心 の澱みが、波に洗われてゆくようだ。
長い海岸線に沿って道があり、その脇にはたくさんのシーフードレストランがあ る。水槽やタライに入っている、獲れたてのエビやカニ、シヤコ、貝類を適当に選ぶ と、調理をしてテーブルまで持ってきてくれる。味も素晴らしいが、値段も驚くほど 安い。
バスケツトボート
海辺には、丸いお椀型のボートがところどころに見られる。この、竹を編んで漆 の防水を施したボートは、漁師たちが漁に使っている。
ダナン大聖堂
1923年に建てられた、フランス統治時代に建てられた唯一のローマカトリック教 会で、淡いピンク色の外壁が、ひときわ目を惹く。クリスマスの時期は、ダナン大聖 堂にイルミネーションが施され、イエスキリストにまつわる飾り物やサンタクロースなど で装飾される。
ドラゴンブリッジ
ハン川に架かるこの橋は、2013年の開通から、新しい街のシンボルとして親し まれている。全長666メー トルの橋には、ドラゴンがあしらわれ、夜には美しくライト アップされ、決まった時刻になると、その口から火炎を吹き上げる。観光客のみな らず、現地若者のデートスポットにもなっている。
また、橋の程近くハン川側沿いの道路わきには、地元の人が小さなテーブルを 前に二人並んで腰掛けているカフェがある。ハン川沿いの道路とドラゴンブリッジを 眺めるようにすわり、ゆっくりとおしゃべりを楽しんでいる。ココナッツの中の果汁をゼ リー状にか固めた、ココナツジェリーはおすすめである。
リンウン寺
ダナン市街の東、ソンチャ半島にある広大な敷地のお寺で、ビーチ沿いからは巨
大な観音像を見ることが出来る。高台に有るお寺の境内からは、ダナンのビーチ
が一望できる。まだ新しいお寺ではあるが、地元若者のデートスポットとして、また
観光客の新しい観光名所として賑わっている。
バインミー
フランスの植民地時代に、 パン食の文化が、ラオスやカンボジアと共にべトナム 全土にも広がった。ベトナムのフランスパンには米粉が入っており、空気を多く含ん だ軽い食感が特徴である。長さ20センチメー トルほどの柔らかいバゲットに切り込 みを入れ、バター、パテを塗り、野菜、ハーブ類、肉などをはさみ、ヌックマム(魚 醤)を振り掛ける。店舗や、屋台、駅やバスターミナルなど、至るところで売られて いる。
写真は、ハン市場近くのMi AA Happy Breadのバインミーと、店内の様 子。店内は、小洒落たインテリアで、2階の座席からは調理場が見渡せる。
ナイトライフ
ダナンで一番人気のディスコ、ニューフンドン。豪華な内装と、大音響のDJ音 楽、ダンスパフォーマンスライブを楽しむ人々で、週末は入りきれないほどの人で賑 わう。独特の世界観を持ったパフォーマンスは見もの。ウィークデイは入場料無料 で、ドリンクも80,000ドン(400円)程度。
五行山
ダナンの中心から、南に車で15分位の所に、五行山がある。別名、マーブルマ ウンテン(大理石の山)と言われ、大理石の産地でもある。
それほど大きな山ではないが、古い寺や、石仏、洞窟がたくさんあり、見どころは 多い。古くから、この地は聖地として崇められ、パワースポットとしても知られてい る。
上りは、エレベーターでショートカットでき、エレベーター上階でのビーチや周囲の 村の眺望から入山が始まる。
緑に埋もれた、趣の有る石の階段や、石の門を抜けて上って行く。
途中途中に、大理石の仏像を見ることが出来る。
山の上には、大きな洞窟があり、その広い洞窟内がひとつの寺になったいる。
山頂以外にも、何箇所か小高い展望台があり、長い白砂の海岸線や、丸く 切り立った石灰岩の山、そしてふもとの村の様子が伺える。
寺社の境内は、まるで外界から遮断されているかのように静かである。所々、 中華文化らしい派手な装飾が見られるものの、全体的には、石とレンガ、そして 深い森の緑により、荘厳で落ち着いた雰囲気をかもし出している。
ふもとの洞窟は、別料金になっているが、見どころは多い。入り口には橋がかか り、動物の生首が並び、橋の下の池からはたくさんの手が宙をつかむように伸び る。洞窟内部も、同様にやや不気味な感じになっているが、一方で仏像に派手 な電飾が施されており、洞窟内は独特の雰囲気をかもし出している。途中、急な上り階段があり、登りきれば外に出て眺望が楽しめる。だが、下りて 戻るときは足場が悪いので要注意だ。
ミーソン聖域
ホイアンから、トゥーポン川をさかのぼる方向に、田園風景の続く田舎の悪路を 車で約一時間走ったところにある。
駐車場から、川にかかる橋を渡り散歩程度の距離を進み、電気カートに乗り 込む。舗装された山道を、小さなモーター音とともに、軽快に風をきって進む。2キ 口程の、気持ちの良いドライブの後、中継地点にたどり着く。ここから、森の中を歩 きながら遺跡の見学となる。
古代チャンパ王国の宗教(ヒンドゥー教シヴァ派)の聖域で、レンガ作りのチャン パ塔など7世紀から13世紀にかけての遺構が残っている。1999年には、ユネスコの 世界遺産に登録されている。
20世紀初頭に、フランス人によって発見されたが、植民地時代に盗掘を受け、 多くの美術品が失われた。
また、ベトナム戦争時には、南部ベトナム解放民族戦線(ベトコン)掃討のため に、米軍による爆撃が行われ、大半の遺跡が破壊された。
インドから、海外へのヒンズー教の伝播は、紀元1世紀ごろからインド商人の 行き来とともに、広がっていったと考えられている。やがて東南アジアにおいては、夕 イやインドシナ、インドネシアに伝わった。
13〜14世紀ころから仏教やイスラム教の伝播により、それ以降の寺社の形 態は、複合的な様相を見せていくことになる。
遺跡は、深い森の中に点在しており、先人たちが、これ程の山奥に、集団で蟇 らしを営んでいた事に驚きを覚える。
ミーソン聖域の全貌は、まだ把握されておらず、見つかっていない遺跡も存在す ると言われており、現在も調査が進められている。
リンガとヨニ
ヒンドゥーの遺跡には、よく、円柱形の石がのった四角或いは円形の台が見ら れる。これは、リンガとヨニと呼ばれ、リンガはシヴァ神(男)の象徴、ヨニはシヴァ神 の妃ドゥルガー(女)の象徴と言われている。この2つの組み合わせは、繁栄や豊 かさ、平和、不死を意味するシンボルであり、宗教的な儀式に使われていた。
ホイアン
ホイアンは、ダナンの南に約30キロに位置する古い港町で、歴史を感じさせる 街並みがユネスコの世界遺産に登録されている。
16世紀末以後に、国際貿易港として、オランダ、ポルトガル、中国、日本との 取引で繁栄した。この頃、日本人街や中国人街があり、江戸幕府との朱印船 貿易も盛んであったが、江戸幕府の鎖国により、日本人の往来は途絶えることに なる。
最も交易の盛んだった時には、千人もの日本人が住んでいたとも言われてい る。日本橋と言う名の橋も、その往時の名残りであろう。
19世紀までは、港町として栄えていたが、ホイアンと南シナ海を結ぶ、トゥポン川 への土砂の堆積により川底が浅くなり、大型船が通行出来なくなった。これによ り、国際貿易港としての繁栄はダナンへと移っていった。
ベトナム戦争時に、街並みは破壊をまねがれたため、現在に至るまで往時の 街並みが、残されている。
ホイアンは、どこか懐かしい古い街の雰囲気を残しつつも、きれいに手入れされ ている。観光客向けの店も多く、街をゆっくりと探索しながら歩いていると、つい時 間を忘れてしまう。
ランタン祭り
毎月、満月の夜になると、ランタン祭りが行われる。夜になると、川沿いのお店 の電灯は消され、ランタンのみの灯となる。
川では、ろうそくを灯した灯籠が流される。静かに揺れる川面に映ったランタンの 灯りと、波間に揺れる僂い灯籠の灯りが、よりいっそう幻想的な雰囲気をかもし出 す。
おわりに
やがて訪れる旅の終わりには、心にポッカリと穴が開が空いたような寂しささえ覚 える。
きっと他の訪問者も、私と同様に「必ずこの地に戻る」と言う強い気持ちを胸に 秘め、それぞれの生活へと帰って行くのではないだろうか。
少なからずダナンに興味をお持ちでしよう。もし、行く ことに迷っているのであれば、迷わずに行ってほしい。もし、行った事が有る人であ れば、行ったときの感動を思い出し、今一度、訪問の計画をたてて欲しい。なぜ なら、どんなに素晴らしい場所でも、時が経てば、いつかは変わってしまうのだか